2014年9月3日水曜日

暑い夏 寒い「…」

 今年も温暖化により増大したエネルギーが猛威をふるっています。
 大雪、台風、落雷、突風や竜巻、ゲリラ豪雨、土砂災害…
 尾瀬ヶ原の花粉分析などによると、8世紀半ばから13世紀末にかけても現在のように温暖だったようで、「奈良・平安・鎌倉温暖期」と呼ばれているそうです。
 
 落雷による都の大火、干ばつや大雨、洪水、疫病の流行…。
 科学などというものは無かった時代、雷ひとつとってみてもその正体も対処法も分からなかった時代、人々の恐怖や不安はいかばかりであったでしょうか。
 戦乱や頻繁な遷都、たたりや怨霊にまつわるさまざまな風評、陰陽師の台頭などに、当時の人々の気持ちが偲ばれます。

 奈良の大仏建立の背景にも、こうした社会的不安があったそうです。初代の「東大寺大仏殿」は、高さ約37m、奥行約53m、間口は現在のものより広い約86m。世界最大の木造建築物でした。


 「寝殿造り」と呼ばれる貴族の住宅も平安時代のものです。板張りの高床で衝立(ついたて)や屏風で仕切られた、吹きさらしのような造り。歴史の教科書の挿絵を見て「寒くなかったのかなー」と誰もが思ったはずです。

 14世紀の初頭に書かれた兼好法師による「徒然草」には、「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑きころわろき住居は、堪へ難き事なり。」とあります。エアコンの無い時代、近年のような猛暑が到来すれば、なにはさておき暑さ対策ということになったでしょう。

 
 しかしその頃からすでに気候は寒冷化に向かいはじめていて、やがて17世紀をピークとする「小氷期」が訪れます。兼好法師がもう少し長生きしていたら、「冬をむねとすべし」と言っていたかもしれません。そして、20世紀になるとまた温暖化に向かい、現在に至ります。
 家の造りや建築物の歴史は、その時代の気候や社会、人々の気持ちを反映し、懸命に適応しようと試みた歴史でもあったのです。

 さて、現在の住宅や建築物を見て、後の人々はどんな時代を想像するのでしょうか。

 CO2削減、大地震のリスク、気候変動、デフレ経済、緊縮財政…。「暑い夏」に「寒いフトコロ」。最近の住宅の省エネ化やローコスト化はこうした自然的、社会的環境変化への適応の現れとも言えます。

 だからといって、そのことばかりに気を取られていると、「時代に適応」するのではなく、いつしか「時代に翻弄」されているだけになってしまうかもしれません。住宅の設計で忘れてならないことは、どんな時代や環境であっても、住む人の感性や価値観、生き方を尊重し、住まいを「住む人に適応」させることだと思います。

 住まいは、なによりも住む人「あなた」自身に最もよく適応していなければならないからです
中島桂一

2014年3月4日火曜日

「間取り」と「部屋取り」

ワクワク係数

 以前、新築されて2,3年たったお客様から
「家事をしながら家の中を動き回っているだけなのに、何でこんなに楽しいのかしら」
 と言われたことがあります。
 設計の打合せをしている時でも、とてもシンプルなプランなのに生活の流れやリズムが感じ取れてワクワクする時もあれば、採光や風通し、動線、使い勝手などは申し分ないはずなのになぜかワクワクしないプランに悩む時もあります。
 この「ワクワク係数」の違いがどこから来るのか考えているうちに、「間取り」という言葉に答えがあるような気がしてきました。
 

間取りと部屋取り

 そもそも「間」とはなんでしょうか。
「間が悪い」「間延びする」「間抜け」「間合いを取る」「間を空ける」「彼の持つ独特の間」など、通常私たちは人や自然、リズムやタイミング、環境やエネルギーなどが作り出す「その場の雰囲気」を表す時に「間」という言葉を使っているような気がします。
 まだ「時間」と「空間」という言葉や概念がなく、そういったものを一緒くたに感じていた頃の古い言葉なのではないでしょうか。
 
 人は住まいの中に様々な「その場の雰囲気」を求めます。
 緊張する雰囲気やリラックスする雰囲気、活発な雰囲気や落ち着いた雰囲気、力が集中する雰囲気や拡散する雰囲気などなど。
 「間取り」の「間」とはこうした「空間の持つ雰囲気」のことと言えないでしょうか。
 雰囲気や空間ですから必ずしも境界や輪郭がはっきりしているとは限らず、目で見るよりは五感で感じるもの、空気かエネルギ-の塊のようなものと考えられます。必ずしも壁や天井で囲まれた「部屋」を意味するものではないようです。
 

間取りと間仕切り

 したがって「間取り」は家の中にいろんな「間」を仕組むことであり、「生活の様々な場面に適した雰囲気の場を作ること」といえるのではないでしょうか。
 そして「間仕切り」はそんな間と間の関係を調整する役割をしているのだと思います。ですから壁や建具で仕切ってはっきりと雰囲気を変える方法だけではなく、距離や仕上材の質感、色、光や窓の加減、天井や床の高低差、目線をさえぎる柱や手摺、格子、家具、温度の高低差を利用するなど、気配を残して緩やかにまたは曖昧に変える方法も考えられます。心の中だけに存在する間仕切りもあるかもしれません。 
 例えば「田の字」型の古い民家の場合、ふすまや板戸をはずすといくつかの部屋がひとつにつながります。しかし依然として南の窓際には暖かくゆったりとした間があり、北の奥には落ち着きと緊張感を持った間があります。床の間や仏壇、神棚の前には神聖な間が存在し、掘りごたつの4辺には家族それぞれに居心地の良い間があります。そうしたたくさんの間が欄間(らんま)や敷居、鴨居、大黒柱や家財道具、時には畳のへりなどによって、ゆるやかに仕切られています。
 

間を旅する

 さて、みなさんのお住まいにはどんな間がありますか。一つ屋根の下に異なるいくつもの間を感じ取ることができたとき、「家の中を動き回る」と言うことがちょっとした旅行のように楽しくなるかもしれません。
 間を旅するときの心の動きによって、生活に良いリズムやメリハリ、躍動感や生命力、そして豊かな感性や情緒が生まれ、そこから家族に良い生活習慣が生まれ、良い人格が育まれ、良い人生を送れるのが「良い間取り」といえるのではないでしょうか。
中島桂一

2014年2月8日土曜日

日月火水木○土

当社の昼休み。外は寒くても、室内には吹き抜けの大きな窓を通して日がさんさんと降り注いでいます。好きな音楽をバックに、水槽の色とりどりの魚たちを眺めながら日向ぼっこにまどろむひと時。

 窓の外には樹齢五十年のメタセコイアがどっしりと大地に根を張っています。四季折々に表情を変えるその枝越しに、今は真っ青な冬空が澄み渡っています。池の水は冷たく澄んでいて、冬眠状態でじっと整列している錦鯉の色がいっそう鮮やかです。
 日が陰ると薪ストーブに火を入れます。黄昏時の空に月が姿を現す時もあります。使い込まれて年期が入ってきた床板や腰壁、柱や梁に囲まれ、しばし落ち着いた雰囲気に浸ります。

 「日」の光、空や「月」、薪ストーブの「火」、水槽や池の「水」、庭や内装の「木」、そして「土」。
 ともすれば忙しさの中で素通りしてしまいそうな日常のひと時に潤いを与えてくれているのは、「日月火水木土なんだなー」と、ある時気付きました。できればこれに「金」があれば言うことありませんが、それは心の中の宝物ということにしておきましょう。

 こんな時間と空間も、贅沢だと言って片付けてしまえばそれまでですが、ちょっと待って下さい。金はともかく(?)日も月も火も水も木も土も、贅沢でも何でもありません。昔からあたりまえのように身のまわりに存在しているものです。古代中国の五行説によるところの万物を構成する5元素(火水木金土)、それに太陽と月ですから当然と言えば当然です。

 きびしい現代社会の時流に流されず、大切にしたいものやバランスをしっかり見定めて生きるのは至難の業です。でも仕事や生活に効率や便利性を追い求めるあまり、気付いてみたら「日も当たらず空も見えず、電気の光や熱に頼りながら、土から離れた無機的な室内で、身も心もカラカラに乾ききって、金の心配ばかりして生きている」なんてことに日本中が陥ってはいないでしょうか。

 日常に潤いを与え、しかも手を伸ばせばすぐそこにあったはずの「日月火水木○土」。でもしっかり意識して生活の中に仕組んでいかないと、いつしか本当に手の届かない贅沢品になってしまうかもしれません。
中島桂一

2014年1月20日月曜日

ぐんまちゃんと円谷英二の申し子たち

 昨年末の上毛新聞。県庁の仕事納めの記事で、県知事のあいさつをかしこまった姿勢で聞く職員の中に、ちゃっかり「ぐんまちゃん」も混じっている写真が載っていた。
 スーツ姿の真面目そうな人たちと共に整列する異形のゆるキャラ「ぐんまちゃん」。白髪混じりのおじさんたちの中、相当な違和感を感じても良さそうなものだが、むしろ、かたくてそっけないイメージのある役所の式典が、和やかでほほえましい自然な場に感じられた。
 
 その一方で、最近の「ゆるキャラブーム」に対して、「いい大人がなんだ」というような批判を込めた曽野綾子さんのコラムを読んだことを思い出した。確かに我々が子供の頃の大人は、こんな「ふざけたこと」?は考えもしなかったし、許しもしなかっただろう。
 もしかすると外国人がこの写真を見たら、現実離れした奇想天外な風景に映るかもしれない。
 しかし、2013年暮れの日本では、いい大人、それも公務員や知事までもが、当たり前のように「着ぐるみ」と一緒にいる。この現象は単に降って湧いたブームではないのかも…。
  
 子供の頃、円谷プロのテレビ番組「快獣ブースカ」が好きだった。人間ともペットとも違う、大人とも子供ともつかない不思議な生き物が、当たり前のように子供達に混じって遊んでいる。

 後で、円谷英二という人は、この「子供達の中に当たり前のように異形の生き物がいる風景」を描くのが夢だったという話を何かで聞いた。ブースカの少し前に作られたテレビ番組「ウルトラQ」の中の「カネゴンの繭」という話が原型らしい。
 私もブースカと一緒に遊びたかった。「近所にブースカが居たらな…」と誰もが思ったはず。しかし、着ぐるみのキャラクターなどフィクションであることは子供でもわかっていたし、当時はテレビの中か、デパートの屋上という限られた空間でしか存在しないものだった。
 
 あの当時、カネゴンやブースカと暗くなるまで野山で遊んでいた金男や大作、メチャ太郎ら子供達の姿が、ぐんまちゃんと一緒に並んでいる背広姿のおじさん達とダブって見える。あれから50年近く‥ みんな自分と同じ50代60代になっているはずだが…。

 んっ? と言うことは、この背広のおじさん達はまさにあの時代の子供達!
 そうか、みんな円谷英二の申し子なんだ。
 
 そう考えると、着ぐるみのキャラクターが現実の県庁職員として当然のように並んでいるこの写真は、かつて1人の男の抱いた夢が、実に半世紀という道のりを経て実現した歴史的な光景かもしれないと思えるのだ。
中島桂一