2014年2月8日土曜日

日月火水木○土

当社の昼休み。外は寒くても、室内には吹き抜けの大きな窓を通して日がさんさんと降り注いでいます。好きな音楽をバックに、水槽の色とりどりの魚たちを眺めながら日向ぼっこにまどろむひと時。

 窓の外には樹齢五十年のメタセコイアがどっしりと大地に根を張っています。四季折々に表情を変えるその枝越しに、今は真っ青な冬空が澄み渡っています。池の水は冷たく澄んでいて、冬眠状態でじっと整列している錦鯉の色がいっそう鮮やかです。
 日が陰ると薪ストーブに火を入れます。黄昏時の空に月が姿を現す時もあります。使い込まれて年期が入ってきた床板や腰壁、柱や梁に囲まれ、しばし落ち着いた雰囲気に浸ります。

 「日」の光、空や「月」、薪ストーブの「火」、水槽や池の「水」、庭や内装の「木」、そして「土」。
 ともすれば忙しさの中で素通りしてしまいそうな日常のひと時に潤いを与えてくれているのは、「日月火水木土なんだなー」と、ある時気付きました。できればこれに「金」があれば言うことありませんが、それは心の中の宝物ということにしておきましょう。

 こんな時間と空間も、贅沢だと言って片付けてしまえばそれまでですが、ちょっと待って下さい。金はともかく(?)日も月も火も水も木も土も、贅沢でも何でもありません。昔からあたりまえのように身のまわりに存在しているものです。古代中国の五行説によるところの万物を構成する5元素(火水木金土)、それに太陽と月ですから当然と言えば当然です。

 きびしい現代社会の時流に流されず、大切にしたいものやバランスをしっかり見定めて生きるのは至難の業です。でも仕事や生活に効率や便利性を追い求めるあまり、気付いてみたら「日も当たらず空も見えず、電気の光や熱に頼りながら、土から離れた無機的な室内で、身も心もカラカラに乾ききって、金の心配ばかりして生きている」なんてことに日本中が陥ってはいないでしょうか。

 日常に潤いを与え、しかも手を伸ばせばすぐそこにあったはずの「日月火水木○土」。でもしっかり意識して生活の中に仕組んでいかないと、いつしか本当に手の届かない贅沢品になってしまうかもしれません。
中島桂一